中畑城

中畑城の創建については、「丹州船井郡八田庄中畑村普門山大通寺観音縁起」によると、源平の合戦で有名な那須の余市の末裔で、丹後国加佐郡志高村(現在の舞鶴市)の住人、北市の正(きたいちのかみ)が尊敬する観音を授持して承久年間(1219~1221)当地に来て、城郭を築き安置した。(場所は頂上とも考えられるが、現在の金毘羅神社の下に堂屋敷といわれるところも城郭と思われるのでここではないか。そして北市の正が中畑城の創設に関係したと思われる。)
この後、観音を東の山に移し、普門山といわれ大通寺を建設し、安置した。(その後、大通寺は災害に遭い、現在地に移転、観音堂も移っている。現在その地は墓地となっている。)
北道氏(みちうじ)の代になり本格的な山城として京都と丹後、氷上方面を結ぶ交通の要点として平場の動きも記録されている。
1615年の大阪夏の陣で豊臣氏が滅び、元和5年(1619年)には出石より小出伊勢守吉親が園部に移り、園部城が竣工する時代になり中畑城も山城時代が終わったのか、寛永14年北万靏時宗の代に廃城となったといわれている。

  • 駐車場

    なし
  • お手洗い

    なし