新宮寺(しんぐうじ)(豊田)

京都府指定文化財:
木造不動明王坐像(美術工芸品)

京都府登録文化財:
木造熊野十二所権現本地仏像(彫刻)

京丹波町指定文化財:
新宮寺権現堂(建造物)

京丹波町指定文化財:
紺紙金字法華経(書籍・美術工芸品)
一般には子安権現の名で知られている。寛治4年(1090年)白河法皇が熊野参詣の折り、紅の雲のたなびくところに分身を祀れとのお告げを受けて建てられた。境内の子安権現堂には、愛染明王坐像をはじめ熊野十二所権現本地仏像12体が祀られ、いずれも平安時代末期の優美な様式をみせている。
長い歴史の中では南北朝時代の寺領押領などがあり社塔はすっかり壊れてしまった。現在の社殿は元禄5年、新宮道意という人物が中心となって再建の大事業が完成した。その後300年、補修も折々に行われ、最近では昭和45年に全尊像の奉修、また平成5年には創建900年記念で全建物の修復が完了した。
破損仏
豊田新宮寺の石段をまっすぐに108段のぼったところに不動堂というお堂があり、その堂内に15体余りの破損仏が祀られている。不動堂は昭和35年にそれまで茅葺きだった屋根を思い切ってセメント瓦にした。その時に茅葺きであった屋根をめくったら屋根裏から、くさりかけた木造の仏様がごろごろとたくさん出てきた。
このくさりかけた仏様たちが破損仏として日の目を見たのは昭和45年で、京都の仏師の協力により、桧の台座をつくり不動堂に安置することができた。
この破損仏は南北朝時代、寺領押領などの難に遭い自然災害とともに建物の破壊などのため、土中に埋まって、風雨にさらされて長い間に元の姿を留めない状態になったと考えられる。

山号「馬眼山」の由来
お寺には、その名前の頭につける称号として山号がつけられている。
そして、その多くは仏教に関係のある山号になっているようだ。ところが新宮寺は馬眼山といって、馬の眼の山という風変わりな山号である。それは新宮寺の由来によってできたと伝えられている。

新宮権現の由来記(応安2年・1369年)によると、寛治4年(1090年)、白河法皇が熊野新宮においてお祈りをされていたときに『西のほう「紅」の雲のたなびく地に熊野権現の分身を安置せよ。』という夢のお告げがあったため、白河法皇は新宮、上田、二人の従者をつれ、熊野権現を祀るためにはるばる丹波の地(豊田)にやってきた(このあたりの地名は「紅」と呼ばれていた)。そして新宮谷にある川を超えるため橋を渡ったが、渡り切ったところで馬が転んでしまった。そのときに馬が山をにらんでいたので、その山を「馬眼山」と呼ぶようになった。
後に「新宮寺」が建てられ、その山の名前「馬眼山」を山号として使うようになり現在まで伝えられている。

現在、住職は別の場所で生活されているため、お寺や文化財等についての詳しい対応はしかねるとのこと。

アクセス

JR嵯峨野線園部駅からJRバス園福線で約25分「九手神社前」下車徒歩10分