長源寺(ちょうげんじ)(癌封じ寺)(出野)

貞観14年(874)、文徳天皇の第一皇子惟喬(これたか)親王が皇立継承に敗れて出家、建立(寺伝)。名を梁覚(りょうかく)と改めて諸国行脚の旅に出て、出野を訪れた際、村人たちに癌封じの秘法を伝授したという伝説にちなんで癌封じ寺として信仰を集めている。
境内には初代開基様として、惟喬親王の尊牌がおまつりしてある。
なお、向かいにあるお椀を伏せたような山は出野城のあった所で、現在の氏神社となっているが、和知全半が一望できる。今の寺が167年前(平成22年現在)まであった寺屋敷は、現在地より山すそ200m東南に行ったところにより、「殿池」といって城主の産湯の池が今もある。
観音祭
毎年7月第1日曜日「観音まつり」が行われ、癌封じのご祈祷と癌封じ茶の接待、そうめん流し、福引が行われ、府下は勿論のこと全国各地から1000人余の参詣があり、社会復帰された方々のお礼のご参詣も年々増えている。祈祷は8時00分~15時00分。

大祭日以外の祈祷は事前連絡が必要です。また、希望により座禅も体験ですることができます。

癌封じ由来
癌封じ寺は臨済宗の寺院で長源寺という。承和11年(日紀1504西暦844)第55代文徳天皇の皇子惟喬親王が第1皇子としてお生まれになったにも関わらず、第4皇子の母方が藤原氏の出身であったため、時の勢力におされて異母弟の第4皇子惟仁(これひと)親王が第56代清和天皇として譲立された。惟喬親王は皇位継承の夢に破れ悲運のあまり出家され、僧名を梁覚と改めて諸国を巡歴行脚され、伝承によるとこの地にも逗留(とうりゅう)され庵を結び「観世音菩薩」をまつり安居(あんご)された。この地を去るにあたり、民衆に世話のなったお礼として癌封じの秘法を授けて滋賀県筒井へ去られた、ということである。御年54歳で寛平9年(897年)2月20日に薨去された。

  • 駐車場

    あり
  • お手洗い

    あり

アクセス

電車で
JR山陰本線和知駅から町営バスで約20分「出野」下車徒歩5分
車で
京都縦貫自動車道丹波ICから国道9号から国道27号で約25分
舞鶴若狭自動車道綾部ICから国道27号で約15分

※JR和知駅からのタクシーはありません。